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JYAKUSYA

Author:JYAKUSYA
ようこそ。
私はとある反2ちゃんねるグループの広報担当で弱者と申します。
ここは文書ばかりで、内容も重いものばかりですが、社会問題とは常に重いものです。 それをお伝えするのがこのブログ開設の趣旨ですので、どうかご容赦下さい。

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33:反2ちゃんねる活動者としての主張【1】

2007/05/18 (Fri) 23:32
03san683

サイレントマジョリティという言葉があるのをご存知か。
「物言わぬ多数派」という意味らしい。(2ちゃんねらーの間でもよく用いられる言葉)
2ちゃんねるの利点として多く挙げられているのがこうした
サイレントマジョリティが匿名ならではの発言が可能になるというもの。
しかし実際はどうか、匿名でもあるはずの者達ですら、偏りがちの
2ちゃんねる世論に異議を唱えることさえできないでいるのだ。
その理由が「2ちゃんねらーが怖い」「個人情報を暴かれるのが怖い」
「サイトを荒されて閉鎖させられるのが怖い」
「危ない連中とは関わりたくない」といった、とにかく「怖い」という
理由から自分が匿名状態にあるにも関わらず、匿名で異議を唱える
ことさえもできないでいるのだ。


そう・・匿名の利点など「恐怖というものの前では無力なのだ。

それを物語る事件が2006年8月3日夜、JR北陸線の富山発大阪行き
特急「サンダーバード」車内で
それは起きた。

車内には多くの乗客がおり、その一人がコッソリと通報してしまえば
それはまさに匿名状態による通報と言えるだろう。リスクも低い。
数十人の乗客の中からチクッた人物を見つけ出すのは、個人レベルでは
ほぼ不可能に近い。
しかしそんな環境の中ですら匿名性の利点は活かされる事はなかった。

これは鉄道車内に関わらず、イジメが行われている学校の教室の中でも
同じことがいえる。
恐怖が支配する匿名掲示板で匿名の利点が本当に活かされているとは
言いがたい現実がある。
結局最後にものを言うのが「勇気」である。
勇気の無い者が匿名世界に噛り付いたところで一体何ができようか。





反2ちゃんねる活動者としての主張【1】

反2ちゃんねる活動者にも色々な考えを持つ人がいますが
今回は「弱者」と名乗る私やその所属するグループが持つ
2ちゃんねるに対する考え方を大まかにまとめました。
基本的に主義主張は、それなりのキッカケでも無い限り変わることが
ないと思うので、何度も同じ返答を繰り返す手間を省くことも兼ね、
この度のエントリとしてアップ致しました。



【2ちゃんねるという存在について】

システム的なアイディアや試みといったものについては
一人のネットユーザーとしては大いに支持できるものです。
「匿名だからこそ発言できることがある」という2ちゃんねらー達の
主張する匿名コミュニティの長所についても一定の理解を示します。
しかしそれは匿名コミュニティの「短所」への対策が十分に機能して
初めて説得力を得るものです。

匿名コミュニティによって利益を得る者もいれば、逆に失う者も大勢います。
どちらかといえば利益を得ている者より失っている者の方が多いでしょう。
匿名の世界では善よりも悪が絶対的な強さを持つ世界だからです。
それらの悪を私は「匿名悪」と呼んでいます。
それらからくる強い「恐怖」の前には匿名の利点など無力に等しいものです。
このことは冒頭でも書いたとうりです。

人々の努力によって匿名悪を完全に無くすことはほぼ不可能でしょうが
減らすことは可能なはずです。
しかし匿名コミュニティを推奨する者達は、それに向けて努力をすること
には消極的で、それを改善しようとする考え方自体をタブー視する世論が
大半を占めています。
自分に降り掛からない災難には無関心 自分がその匿名コミュニティの
恩恵を受けてさえいれば、他の者がどうなろうが構わないという身勝手さ
ゆえの世論だと私は受け止めています。

情報が集まり易い環境を作るためだとか、悪を告発し易くするためだとか
理屈を並べたところで、ただ自分達の自己中さを見映えのいい言い回しで
ボカシて見せているに過ぎないのではないでしょうか。
いなかる理由があろうと、結局は自己中であることには変わりありません。
匿名コミュニティを維持するためなら多少の犠牲は止む終えないという
考えならそれはそれで結構。
当然、被害者などから批判を浴びせられるでしょう。しかしそれが自分に
とって絶対に正しく、必要悪の一つだと認識しているのなら、それを堂々と
主張すればいいのです。匿名コミュニティを強く推奨する者にはこうした
十字架を背負って生きなければならない義務があると思います。

2ちゃんねるという匿名コミュニティは、大勢の犠牲のうえに
成り立っているのは紛れもない事実なのですから。
私は匿名コミュニティを完全否定しているわけではありません。
この私自身もネットの匿名性のお陰で、このような活動が可能に
なっているのですから・・

ただし、大勢の犠牲で成り立つもので恩恵を受ける者は
同時にその犠牲から目を背けてはいけないのです。
つまり「逃げるな」「目を背けるな」「気取るな」と言いたいわけです。

現在、恩恵を受けている者達は美味しいところだけ頂いて、その副産物
たる負の部分を未処理のまま社会に垂れ流していることが問題なのです。
こんなこと到底認められるわけがありません。
高名な大学教授や専門家等の有識者の皆様にとって、2ちゃんねるは
情報環境学の研究として興味を惹くサンプリングなのでしょうが、
その研究に使われているモルモット達は皆様と同じ人間なのです。
それも実験に使われることに同意を得ているわけでもなく、被害者は
無理矢理研究室に連れてこられているような状況なのです。

2ちゃんねるという研究室の中でモガキ苦しむモルモット(被害者)も
愛する家族もいれば、喜怒哀楽の感情を持つ列記とした血の通う人間なのです。
これもインターネットの発展のためには止む終えない犠牲なのでしょうか?

多くの犠牲を伴って築かれた富や名声を、ネット専門家の方々は今後
得ることになるでしょうが、私はその名声を得ること自体には異論は
ありません。どうぞ好きなだけ名声を得て下さい。
しかし、ちゃんとその副産物である十字架を背負って頂きたい。
その十字架を背負える者だけが、ネット社会発展の功労者として
名声を得る権利があるのではないでしょうか。

私が2ちゃんねる関係者達が許せない理由の一つに、これらの十字架を
一切背負わず、己の欲しいものだけを手に入れ、更にその犠牲となった
者達の存在をまるで人として認識してないかのような彼等の冷淡さです。
同じ人を人とも思わない彼等はネット専門家である以前に人間として
何かが欠如しているように見えて仕方がありません。

2ちゃんねるにも良い面があるとは認めますが、良い面は全体の
何割なのでしょうか。
私は長く2ちゃんねるを見てきましたが、どう見ても2ちゃんねるの
良い部分で、多くの犠牲に見合う功績を今までに残しているとは
とても思えません。

「泣ける2ちゃんねる」「電車男」などの美談や「ゴミ拾い」「折鶴」等の
ボランティア活動という実績だけで、その何十倍とも予想される
2ちゃんねる被害に目をつぶれるだけの免罪価値があるとも思えません。

悪を告発できる場として価値があると申されますが、実際に2ちゃんねるで
悪を告発して解決に結びついた例は今までに何例あったのでしょうか。
それも企業や国家権力の横暴を告発した例よりも、お金も権力も無い
ごく普通の個人にばかりその告発機能が使われているような気もします。
それも、相手の些細な落度を大袈裟に罵倒したり、勝手な作り話でもって
罪の無い人間に罪人の濡れ衣を被せたりと、匿名性の利点が良い例で
使用されるケースのほうが少ないというのが実際のところではないでしょうか。

行政のトップたる内閣総理大臣についての告発は一瞬にして削除し
実名で中傷を受けている女子中学生相手には「言論の自由」だとか
「組織の不正を暴くためだとか」大義名分を持ち出し削除を拒否するとは、
とんだ告発の場のスタッフ達です。
何時から女子中学生のことを組織や権力と認識するようになったのか
第三者の私としては強く疑問を抱くものであります。

立場の強い相手には誠意ある対応、その一方で立場の弱い相手にだけ
偉そうに言論の自由だとか告発環境の利点だとか説法をたれる
掲示板スタッフ達がそんなに凄いのでしょうか。

これは2ちゃんねるに限って言えることではなく、特定の既存
メディアなどにも言える事です。
自分の利益に繋がる相手に奉仕することのみが今時のメディアの
常だとお考えならばそれはそれで結構です。資本主義社会ですからね。
ただし、本音と建前の使い分けで、脳内だけで「これは必要悪だ」
などと気取った解釈をしないで下さい。悪いものは悪いのですから。
自分でそれが100パーセント正しいと信じた必要悪ならば、堂々と
それを顔の見える場所で主張して下さい。

都合のよい建前で偽善者になるのだけはやめて頂きたい。
必要悪の持論を持ち出すことは即ち、十字架を背負うということです。

2ちゃんねるの存在意義を感情論だけでは測れないと主張される
ネット専門家の方々にも言えることです。



【2ちゃんねる否定論者は無感情論者でないといけないのか?】

2ちゃんねるへの否定的意見は感情論以外には有り得ないと
解釈するネット専門家やジャーナリスト等がとにかく多いです。
ではどのような否定的意見なら否定論として認められるのか。
目をキラキラさせて、爽やかな表情を浮かべながら
「2ちゃんねるのやり方には問題がある」「2ちゃんねる反対」
とでも言えというのでしょうか。

イジメられて顔を殴られ続けても、爽やかな表情で反論しなさい
とでも言いたいのでしょうか。

人間がインターネットを使っている以上、人道的見地から物事を
模索する必要が出てくるのは必然の成り行きです。
感情論で決め付けるなとは申されても、そもそも多くの人々を感情的に
させてしまうものをネット上に作ること自体に問題があるわけです。
感情的になるなと言うのなら、感情的にさせるなという話です。

2ちゃんねらーという存在は、何も前ぶれも無く、後ろからいきなり木刀で
被害者を殴り「何しやがるこの野郎!」と被害者が激怒すると加害者は・・

「何をそんなに感情的になっているの? 私怨で僕を批判しないでねぇ~w
僕に殴られたのは君に殴られる理由があるからさ~♪
一部を見て全てが悪いなんて言わないでね~ 僕は一部の人間にすぎない
のですから~~~♪」


と加害者が悪ぶれた表情もせず、その後、余裕シャクシャクの態度で、
「私怨乙」「私怨乙」「私怨乙」※と連呼している状況が今というわけです。
これは2ちゃんねるがネット上に出現した当時から続いているようです。
(※「私怨乙」2ちゃんねらー用語で私怨お疲れ様という意味。)

これがネットの常だと知ったふうな理屈を述べる専門家に言いたい。

皆さんは進化することをお止めになったのか」と。
今の現状が「常」というのなら、これがネットの終着点というわけです。
これ以上改善もできず、ネットは進化することを止めたという事です。
インターネットは新しい分野の技術ではなかったのか。
新しい分野に生きる技術者が新しい領域に挑戦しなくなったことが
何を意味しているのか。
それは私から言わせるとネット専門家としての存在価値を自ら
否定するということです。

通信速度を速くする技術が今より進化しようが、汎用性が高まっても
本質的な進化を遂げたとは言えないのではないでしょうか。
最後にそれを使う人間がその進化の流れに着いてこれないのであれば
宝の持ち腐れに終わってしまいます。
インターネットの研究とは、なにもプログラム等の機械的な
研究ばかりではないような気もするのですが、私は間違っているのでしょうか。

技術を進化させると同時に研究者の皆様の心も進化させるべきでは
ないかとネットの闇部分を日常的に見ている者として思うわけです。

2ちゃんねるを否定する発言にはとりあえず「感情論」と定義付けして
まともに取り合おうとしない2ちゃんねる派のジャーナリストやネット
専門家にはもうウンザリしているのが正直な気持ちです。

ネットの世界では理屈さえ通っていれば何でもまかり通る世界のようですが
人様に迷惑をかけることに理屈もへったくれも無いと思うのですが
この点についても私は間違っているのでしょうか?


ひろゆき「賠償金は死刑になるなら払う」  (hoosoo.tvの動画より)
(この顔ぶれは今後の参考のためによく覚えておきましょう)

「死刑になるなら払う」2ちゃんねる管理者、賠償拒否

これらがネット社会で常識なら、これって本当に問題が無いのでしょうか?
ハッキリ言いまして、理論上、理屈で正当化できない物事などこの世に
存在しないと私は思っています。つまり理屈上手でさえあれば人殺しでも
泥棒でも何でも正当化できてしまうということです。

だから人々に「他人に迷惑をかけない」という最低限の暗黙ルールが
世に浸透させられたのではないでしょうか。
これこそが人と人とが共存できるための最低条件といえるものでしょう。
しかしネットではそれさえも否定されているのが現状なのです。
口だけ「他人に迷惑をかけることはネット社会でも許されない」と
理屈好きの偽善者達がダラダラと長文を並べ立てていますが
私はそんな建前だらけで中身の無い長文にはまったく興味がありません。

建前上の正論や理屈はもう読み飽きました。
ちゃんと注意書きの表示はしてますよ」と理屈で正当化し
脱法ドラッグを売りまくっている販売業者や
一人でも必要としている人がいるから送り続ける」と理屈で正当化する
スパムメール配信業者など・・
闇社会の住人達にとって理屈は単なる商売道具でしかないわけです。
それらをクソ真面目に受け止めて「そうだそうだ そのとうりだ!」と
賛美する著名人やメディア関係者などの存在が問題を更に複雑に
しているという現実があります。

他人に迷惑をかけてはいけない。駄目なものは駄目。悪いことは悪いと
主張することがネットではそんなにいけないことなのでしょうか?
一人の反2ちゃんねる活動者としてではなく、一人の人間として強く
疑問に思うことであります。

口から生まれてきたのかと思えるような屁理屈の達人達に
真面目に付き合ってても不毛な議論が続くだけです。
議論に決着をつけさせないことで、問題改善への進展を妨げるのが
何時もの彼等の手口です。
あっちにフラフラ こっちにフラフラ のらりくらりの持論と
戯れる時期はもう終わらせてほしいものです。
メディアウケはするでしょうが、実際に被害を受け続けている
市民にとっては楽しくも何ともありません。
ただムカつくだけです。

インターネット社会は人の血が一切流れていない冷え切った理屈の
オンパレードです。
こんな現状に対し見て見ぬフリ 別に2ちゃんねるは無くなっても
構わないと口先の中立者が毎日のように2ちゃんねる被害者の口を
塞ごうとネット内を巡回しているわけです。

実行動は卑怯でも、口先での理屈が正論であれば何でも許される。
こんな馬鹿げた風潮が本当に正しいと思っているのでしょうか。

どこかの大学の教授が言っていようが、どこかの有名な弁護士先生が
言っていようが、おかしいところはおかしいとハッキリと反論できる
信念を皆さんは今後のために身に付けておく必要があるでしょう。
常にそうあれとは言いません。一つくらいはそういうものを持ち続ける
べきだと私は考えています。


【主張シリーズ】

反2ちゃんねる活動者としての主張【1】

反2ちゃんねる活動者としての主張【2】

反2ちゃんねる活動者としての主張【3】

反2ちゃんねる活動者としての主張【4】

反2ちゃんねる活動者としての主張【5】

反2ちゃんねる活動者としての主張【6】

反2ちゃんねる活動者としての主張【7】

反2ちゃんねる活動者としての主張【8】

反2ちゃんねる活動者としての主張【9】

反2ちゃんねる活動者としての主張【10】

反2ちゃんねる活動者としての主張【あとがき】


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